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女性研究者インタビュー

―― アフリカの研究を始められたきっかけを教えてください。 杉山 学部のときの指導教官のご専門が南米の先史人類学だったのですが、その講義を聞いて「人類学っておもしろい」と思うようになりました。とくに、自然と人との相互作用という点から人間の社会を考える生態人類学という分野に強く興味を引かれたのです。
 大学院は筑波大学の歴史・人類学研究科に入りました。指導教官が2人とも日本やアフリカ、ネパールなどでがんがんフィールドワークをしていて、学生にもフィールドワークを中心にした研究を勧めていました。私はそれまでフィールドワークをしたことがなく、「行ってこい」と言われて出かけるのですが、ものすごく人見知りで相手の方に遠慮をしてしまい、すごすごと帰ってくることもありました。私が自分でフィールドを見つけて動き出すまで、指導教官はさぞ歯がゆく思っていたことでしょう。
 大学院の2年に進んだ時、「アフリカに行くか?」と言われ、筑波大学の人類学専攻の院生としては初めて、研究グループに入れてもらいました。気がついたらアフリカに来ていた...という感じでした。

―― 初めてのアフリカはいかがでしたか? 杉山 3ヶ月ほどザンビアの地方の村に住み込んだのですが、村での最初の夜はこわくて不安で「帰りたい」と思いましたね。
 はじめは、その地方の人びとが話す言葉ベンバ語がまったくわかりませんでした。でも黙っていると「何か話しなさい。なぜ話さないのか?」と言われます。「ベンバ語がわからないから」と答えると「あなたが今しゃべっているのはベンバ語だろう?しゃべらないから、しゃべれないんだ。しゃべりなさい」と、こんな感じです。それを見て、村のおばあさんが何かと声をかけてくれるようになり、あらゆる機会にベンバ語でやりとりするようにしてくれたので、1ヶ月ぐらいでだいたい話せるようになりました。
 その頃のアフリカ研究では、アフリカの生活の中で女性が重要な役割を果たしていることは知られていましたが、男性研究者が多かったので、女性の暮らしの実態はあまりわかっていませんでした。そこで、私は指導教官から「女性の研究をするように」という課題を与えられました。「はあ、とりあえずやってみます」と答えてしまったのが、その後を方向づけることになりました。何をすればいいか見当もつかなかったので、とにかく村の女性たちが日々していることを知ろうと思い、私も一緒に水汲みをしたり、枝運びをしたり、同じことをして過ごしました。親しい友人もでき、村で生活することじたいが、とても楽しくなっていました。

―― いったん帰国して、ほどなく同じ村に行かれたそうですね。 杉山 ザンビアのこの地域は、母系社会であることや独特な焼畑農耕など、フィールドとして興味深いところです。初めてのアフリカ行きから帰って2ヶ月後、ふたたびザンビアを訪れた私は、同じ村の同じ家で、今度は一年間滞在しました。その後も、半年あけてまた一年...と、当時はアフリカにいるほうが長かったですね。
 その頃には言葉もさらに自由に使えるようになっていましたし、ずっと一人だったこともあって、いろいろな女性のグループに混じって行動しました。村びとの自然環境に関する技術や知識の豊かさと深さにも驚かされました。村の人たちは、特におじいさんやおばあさんがとても魅力的です。毅然としていて穏やかで、誇り高く生きている。おばあさんたちは、村の儀礼や政治でも一目置かれていました。若者も、困ったことがあるとおばあさんのところへ相談に行くのです。すると、あっちをつつき、こっちをつつきして、きちんと解決してくれます。そんな姿を見ていたら「歳をとるってこんなにカッコいいんだ」と思いました。

―― その頃には、先生のご研究の方向性が定まったということでしょうか。 杉山 はじめは指導教官に導かれるまま行ったアフリカですが、暮らすうちにすっかり好きになり、ひとりで一年間行って帰る頃には、アフリカ研究を続けようと決めていました。
 私自身もずいぶん変わったようです。それまでは、人から何か言われたら、イヤなことでも「ハイ」とニッコリ答えるようなタイプでした。ところが、ザンビアから帰ってきたら、迷わず自分の意見は主張するわ、大声で「なにぃ?」などと言うわ、周りからは「ずいぶんワイルドになったね...」と言われたものです。私自身は変わったあとの自分の方が好きでした。そしていつかザンビアで出会ったおばあさんのようになれたら...などと思っていました。

―― ご結婚、ご出産・育児について教えてください。 杉山 1991年に弘前大学に着任し、タンザニアにも調査に行くようになりました。同じアフリカ研究者の男性と知り合い、帰国後結婚しました。育児休暇はとっていません。私が所属していたコースは、海外に調査に行く人が多く、ちょうど私の出産した時期に長期で海外に赴任する同僚がいたので、休むわけにはいきませんでした。
 最初のうちは、夫や私の母が交代で来てくれたり、夫と二人で協力したりして、育児と家事と仕事をなんとか成り立たせていました。でも、彼も自分の調査がありますから、長期間弘前にいないこともあり、「この先、どうしよう」と二人で途方に暮れてしまいました。そのとき、知り合いの方から「保育ママ」さんを紹介してもらったのです。
 その方は、とても親身に、お仕事としてというより親戚のように子どもに接してくださいました。子どもが熱を出しても、授業に穴を開けるわけにはいきません。そういうときは、「心配しなくていいから、うちに連れてきなさい。」と言ってもらえて、どれほどありがたかったことか。ご家族全員がとても暖かく、私の帰りが夜遅くなるときは、ご飯を食べさせてくださったり、私の週末出張に合わせて子どもたちをキャンプに連れて行ってくださったり。そこのお宅には、他にも2家族がお世話になっていて、なんだかアフリカの大家族みたいな感じでした。その中で育ったうちの息子は、長男なのに「次男な性格」をしています。その方には、子どもが小学校を卒業するまでお世話になり、今でも、おつきあいがあります。
 他の大学に移る可能性もあったのですが、「この環境は手放せない!」と、弘前に残ることを選びました。本当に「保育ママ」さんのおかげで研究を続けられたと思っています。職場の同僚にも恵まれました。皆がごく自然に融通をつけてくれ、支障なく仕事をすることができたので、とても感謝しています。

―― 「つがルネッサンス!地域でつなぐ女性人才」について教えてください。 杉山 これは、平成22年から文部科学省からの補助金を受けた、弘前大学の女性研究者支援事業です。弘前は大都市圏から遠く、研究には不利な点もありますが、一方で、職場と自宅が近い、子育てや介護についての公的支援が手厚いなど、弘前ならではの利点もあります。例えば「保育ママ」さんは、まさに地元の財産ですね。そういう財産をもっと活かし、つなぎましょう、そして、女性研究者を手始めに、誰もが学びやすく、働きやすい弘前大学をめざしましょう、という取り組みなのです。弘前は、そういうことができる雰囲気をもつところだと思います。

―― アフリカと日本を比べてみて、男女共同参画を進めるためのヒントは何かありますか? 杉山 アフリカでは、周りの人がよく助けてくれます。例えば体が不自由で困っている人がいたら、どこからともなく集まってきて手を貸しますし、つらそうにしている人には、ごく自然に声をかけます。子育ても同様です。日本でもそういう面で、もっとつながりが広がっていけばいいと思います。
 いまの日本では、人に助けてもらうと、何か負債感を感じるようなところがありますよね。私もそうでしたが、「助けて」って言っちゃいけないんだという意識を持っている人が多いのではないでしょうか。でも、言ってみると意外と気軽に手助けしてくれるものです。何か行動を起こせば雰囲気が変わり、雰囲気が変わることで制度も使いやすく変わっていく...そんなふうに社会がいい方向に向かっていくことを願っています。
 「男女共同参画」や「ジェンダー」というと抵抗感を持たれることも少なくありませんが、「ジェンダーを意識すると、こんないいことがありますよ」というふうにポジティブに語っていけたらいいなと思います。すばらしい実績を残している女性研究者は大勢いますし、研究しながら子育てに関わる男性研究者も少なくありません。以前に比べると、「男性」「女性」の役割分業意識よりも柔軟な実践がしやすくなっているように思います。
 もちろん、実際にさまざまな格差があることは確かですから、そこにはきちんと目を向ける必要がありますし、社会的には少数者が声をあげ続けるということも大切だと思っています。

―― 近々、久しぶりにアフリカに行かれるそうですね。 杉山 子どもが生まれてから3年間はアフリカに行けませんでした。小さい子どもをおいて調査になんて行けないと思ったのです。その時は、研究の「扉」が閉じちゃったなあという感じがしました。でも、息子が3歳になると、家族で一緒にアフリカに行けるようになりました。その時は、現地での扱われ方、人との付き合い方が、ひとりで行った時と全く違って驚きました。新しい研究の境地に立つことができて、「ああ、こういうふうに別の扉がまた開くんだなあ」と思ったものです。
 ところが2003年にリウマチを発症して、一時は寝たきりになるのでは、と思うくらいひどくなりました。アフリカ行きもずっと見合わせてきましたが、この夏の終わりに、久しぶりにタンザニアに行けることになりました。
 以前もそうだったように、目の前の扉が閉ざされても、必ずどこかで別の扉が開いているものです。病気をする前には気づかなかったことが、アフリカの「新しい扉」の向こうに見つかるかもしれませんね。
(このインタビューは平成24年6月に実施しました。)

  • 弘前大学
  • 弘前大学男女共同参画推進室
  • 女性研究者研究活動支援事業
  • 弘前大学理工学部 理工学部女子会

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